cruiseline8’s diary

PDDの20歳の娘と、同じ50代の夫と共に都内在住。趣味は、洋裁とレジンのアクセ作り。推しはSixTONES。FCには23年8月に入会。思い感じること、さまざま綴ります。

アメリカ同時多発テロから22年

世間では、ジャニーズ事務所と企業のCM見直しのニュースの報道ばかりで、ほとんどニュースやメディアなどに、話題に上がる事がなかったのが、とても哀しかった。

 

・・この日は、絶対に、忘れてはいけない日。

この国で起こった事じゃないから、関係ない?

そんな事は決してない。

 

22年前のサンケイスポーツの特別版。ずっと保管してある。

 

日本人24人を含む2977人が命を落とした世紀の大事件。

ハイジャックされた旅客機2機がビルに突っ込み、国防省ペンタゴンにも旅客機が激突。

4機目は、ピッツバーグ郊外に墜落、炎上。(標的は、連邦議会事堂とフライトレコーダーなどから判明。)

 

娘が生まれる3年前の2001年9月11日。今年で22年。本国のアメリカでは、あちこちで追悼式典が行われたそうです。

 

この日、私はテレビの前から、離れる事が出来ず、ただ、ただ。目の前に起こっている悍ましい光景を呆然と観ていました。

 

いつか。行ってみたいと思っていた憧れの街。ニューヨーク。

摩天楼のシンボルに、エンパイアステートビルと並んで、当時。経済の象徴となっていた世界貿易センタービル

 

テロが起こる二年前の貿易センタービルの写真。

 

誰も、誰一人。こんな事になろうと露にも思っていなかった。

 

もう助からないと判断した人たちが、ビルから飛び降り身を投げていく様子が、テレビの映像を見ていて、わかるんです。人が小さく落ちる様子が写っているから。

 

どうか! 誰か助けてあげて!!と、心で叫びながら観ていたのを、昨日のことのように本当に覚えている。

暫くしてから、ドキュメンタリーや映画化されたものも観たけれども、実際に観るのと聞くのじゃ大違い。どうしても綺麗に描かれるもの。

 

跡地に、新しくビルが出来、追悼の意味も込められ、「グラウンド・ゼロ」と名前が付けられ人々が追悼に、世界中から訪れる。

 

これから年数の経過と共に。この日の事件のことを知る世代が少しずついなくなっていくのだろうけれど、この事件の事は、次の世代に繋いでいかなくちゃいけないと強く思う。

 

もうこういう事は、二度と起こしてはいけないし、起こらない世界にしないといけない。

世界的に影響力のある人たちが率先して、世界平和を唱える努力はこれからも必要。

 

すぐには良くならないかも知れないけれど、一人一人が平和について考え、意識していく事で、変わっていく事もきっとあるだろうから。

 

2棟のビルが倒壊した後、消防士さんたちが必死に瓦礫の下に下敷きになった人がいないか捜索

 

誰がが、メディアが聞き、伝えていかないと人々の記憶から消えていく。

何度も言う。こういう事があった。という事実を風化しちゃダメだと思う。

 

当方のブログを読んで、興味持った若い人がいたらば。

ぜひ9.11の情報を調べて、自分はどう思うのか。文章にしても、ノートに書き留めても。

・・やってみて。そこから過去と現在(いま)が繋がる。そうした形で、ずっと伝えていってほしい。

 

私も、娘に。こういう事があった日だよ。と伝えました。

 

亡くなられた方たちに、心より哀悼の意を。

 

 

追伸/

事件のあった2001年の、メディアや報道に関わる人たち。

志を持っていて、自分は、こうする。という信念があり、心酔するくらいカッコ良かった印象。当時は、報道マンを目指す若い人、多かったよね。

 

でも今は、日本の報道にそんな人、ほとんど見かけなくなったと思う。質問がしたいが為に、記事にしたいが為に。

なりふり構わずルールを破るそんな人たちばかり。

報道の質も、それに伴い質が悪くなっていると思う、現在(いま)は。