なんかざっくりだけども。(^^;)
幾つかあるけど、先ずはやっぱり音楽。
辛い時に、いつも自分の心を奮い立たせてくれたのは、音楽があったからだと思う。
あとは、外せないのは、やはり家族。
夫と娘がいたから、こうして私は、今も頑張って自分の人生を送れている。
面と向かって、きちんと気持ちを伝えた事は、あまりないけども。
・・いつも、ほんとうにありがとう。
三つ目は、メンタルクリニックの先生かな。
今だからいうけど、私の育った環境は、あまり裕福ではなく。
両親が新潟から出てきて、都内で、豆腐屋を営み、23区外の市に住まいを移したのは、私が3、4歳の頃でした。
当時は、市内の保育園に通園バスで通っていて、乗り込むバスを間違えて保育園まで戻ってきた事も、数回ある。苦笑。
こういうことも、昔なら笑って済まされたのに、今は。
子供が極端に少なくなっているから、大問題に発展する。個人的には、もっと大らかに行こうよ!と思うけども。
父と母が必死に、働き小中。高は私立。そのあとは服飾専門学校まで通わせて貰って。
私の下に、弟と妹がいるけども、私に一番。お金がかかってる。
それなのに、何も身になってないのが、申し訳ないくらいの私の懺悔。
手に職をつけてくれる場所に、通わせてくれたこと。本当に感謝!しています。
これからは、縫製とか食品加工業、刃物などの金属加工業などコンピューターで、賄える職は、人の手によるものは、消えていく傾向にある。のでしょうけれども、「イチから自分で作ることが出来る」というのは、自分の財産だと思っています。
昭和は、これからどんどんと遠くなるのでしょうけれども、手仕事でしか。
表現が出来ない事は、必ず残って行く。と思うから、もっと自信を持って!と言いたい。
今も、たまに。
気分が落ち込んだりして、波がある時はありますが、以前のように。
人の助けを乞うようなほど、落ちる事はほぼ、ありません。
病んでしまう時は、周囲が見えない状態の時。必ず、ね。←私は、そうでしたね。
だから、そういう時は。自分を取り囲む声に、耳を傾ける。努力は一度はしてみて。
そうしても改善しないのなら、躊躇せずに、お医者さんへ。
根気よく話を聞き、患者さんの気持ちに寄り添って下さる精神科の医師さん。
今は、たくさんいらっしゃると思います。
これは昭和と令和の、大きく違うこと。