cruiseline8’s diary

PDDの20歳の娘と、同じ50代の夫と共に都内在住。趣味は、洋裁とレジンのアクセ作り。推しはSixTONES。FCには23年8月に入会。思い感じること、さまざま綴ります。

大人の発達障害

と、仰々しく銘打っている人や、それを謳っている人たちがいるけど、そもそも。

発達障害は、先天性。

 

この世に、持って生まれてくるもの。

 

だから大人になって判明した人たちは、幼少期から困り感などそれなりに感じてたはず。

幼少期に何故、気づかなかったんですかね。その事が一番、気になるよね。

 

大人になるまで、気づかなかったという事はそれまで。特に大きく困らずに何とかやって来られたからでしょう。

多少の生きづらさや、辛さを感じていても。

 

大人になって、気づいて。気の毒だとは思うけれども、何とかやって来られて大人になったのだから、大人の発達障害というのは、おかしいと思う。

 

ご自身を育てた親御さんが、気づいていたら?

という事なのでしょうけれども、大人になってから急に困り感を感じて受診したら、発達障害だった。という人たちは、幼少期に。

 

親が気が付かなかったとか、周囲とうまくやって溶け込めていて、特性が目立たずいたとか。

大きく浮いてなかったからじゃないのですかね。

 

ようは、皆さん。普通に近い人たちって事。それも知的障害は伴っていない。

 

急に困り感を感じたからといって、大人の発達障害といって、造語を当てはめるのは、本当にやめてほしい。それが障害名だと、誤解する人たちが出てくる。

 

後から気づいた云々なんとか。言い方がもっと他にあるだろうって、大人の〜と聞いたり、目にする度、そう思ってしまうのよ。

 

言い方を変えるならば、ある程度成長してから、自分の特性を、自覚するようになった。と言う事なのだろうね。

 

それを「大人の」を付けるという事は、自分を見て欲しいという気持ちの表れからなのかなと思います。

ですが、それをいう相手は、YouTubeやネットではなく。

自分を育て大きくしてくれた親御さんで、対峙すべきなのはご自身のご両親。

 親と話して、自分の中で受容が出来れば、納得がいくと思う。 

 

大人の発達障害。という言葉には幼少期から、障害児を育てて来た親。としては、とても違和感を感じます。

 

そうではありませんよね?と、私は聞き返すと思うよ。

この世に、生を受けた時から、特性は既にそこにあったのだもの。

 

少し前までは、障害特性を何となく、もしかして?と感じていても。そのままで一生を終える。

事もザラだったのだから、そういった意味では今の世は、理解があるからまだ良いと思うな。

 

少子化が、これからはもっと加速するでしょうから、障害あり、特性ありに関わらず。

子供というだけで、世間が重宝する世界が、今のままだとこの国は必ずやって来るよ。

 

まだ昭和の時代の世代の人たちが生きているから、社会がそれなりになっている。だけで、これが平成生まれの人たちが、日本社会を支える頃になった時は、この国はどうなるのだろう。

本気で真剣に、危惧します。