cruiseline8’s diary

PDDの20歳の娘と、同じ50代の夫と共に都内在住。趣味は、洋裁とレジンのアクセ作り。推しはSixTONES。FCには23年8月に入会。思い感じること、さまざま綴ります。

不登校気味の子供たち。

今日は、担任の先生、副担任の先生が、家庭訪問で我が家にやって来たのだけれど、
娘は、緊張でお茶ばかり飲んでいました。笑。

先生達にそれを言われて、ますますお茶を・・。(^^;)

横で見ていて、何だか笑ってしまった。そんなこんなで、和やかな面談時間。

この模様は、また後ほど書きますね。




今回は、タイトルの話。


娘は、支援学校は小学部から入っていますが、小中高と、それぞれの学部の一年生。
になって入学してくる多くの子達は、知的に障害があっても、知能的には、高めの子供達。


手帳が取得出来ても、知的障害の判定ぎりぎりのライン上にいる。といったほうが、解り易いかな。


だから、理解力や行動力など、もともと高く、相手から言われている事も、
だいたいの事は、理解が出来ている、もしくは出来る子たちが多いんですよね。


それを踏まえると、支援学校で日々。
やっていることは、彼等にとっては、今一つ、物足りなく感じることも、あるようです。

ようは、やっていることが、簡単過ぎて、勉強がつまらないとか、自分なら、もっと上の事が出来るのに。
といったように、そんな思いを懐く子供達は多いよう。


そのせいなのか、本当のところは、理由は定かはではないけれど、高等部1年生。
外部生の子供達のうち、最初の数日こそ、来てはいたものの、
数人は学校に来たり、来なかったり。短い時間だけ来て、帰る。


或いは入学式の日から、一度も学校へ来ていない子もいます。


これは、私の個人的な意見なので、誤解しないで下さい。あらかじめ、申し上げておきますね。


中学生くらいから高校生って、心も身体も、大人に向かって一直線に進む年代。
良いも悪いもあって、その全てを嫌でも。

本人が受け止める事をしないと、駄目なんだと思うんですよね。


親は、話を聞いてあげられるくらいで、出来る事って、殆どない。

支援学校は、基本的に就労を目的としていますから、高等部では、
「自分で考えて行動する」が、必然。


小中とは、そこが大きく違うなあ、というのが、実際に娘が高等部に進んで。の私の感想と、印象です。


事実、部活動、生徒会、クラス委員も、やりたい意志のある子たちの、立候補制ですし、
小中の時のような、先生との距離が密。というか、近い。ということは、ないですしね。


寧ろ、一定の距離を保たれている。というほうが、近いかも知れません。


なので、自分がどうしたいのか。
という事を、常に求められているということ。


将来的な事を考えると、高校生で不登校だとその先の事も、大丈夫かな?
と、危惧してしまう。

不登校から、引きこもり。気が付いた時には、親は高齢で、子は 50代。


これは、突拍子な事かもわからないけれど、決してあり得ない話では、ないと思う。



自分で考える事が、しんどいと思うならば、親御さんや、先生達に相談してみるのも、良い。

その子、その子によって、理由は(不登校不登校気味なこと)様々なのでしょう。思いを推し量ると、辛いだろうと推測する。


勇気を出して、最初の一歩を踏み出して欲しいと、心から願う。



普通高校入学が、厳しかったからこそ。の支援学校選択なのは解る。
ならば、それでやっていくしかない。というのなら、腹を括る覚悟も必要。

...そう、なってくる。と考えていたほうが、良いと思うな。


支援学校が合わないのなら、他の選択肢も、考えることだよ。
このまま、行きたくない。とやり過ごしていたら、あっというまに卒業がきてしまわないかな。


未来は、自分の手で掴むもの。