cruiseline8’s diary

PDDの20歳の娘と、同じ50代の夫と共に都内在住。趣味は、洋裁とレジンのアクセ作り。推しはSixTONES。FCには23年8月に入会。思い感じること、さまざま綴ります。

娘のこと。

娘は、3歳の夏に、隣市にある療育センターで、発達検査を受け知的障害ありの広汎性発達障害

と診断を受けました。

以来、現在。16歳。


月経も始まって、少女だけど、親としてはもう大人だと思っています。


今は支援学校、高等部2年生に在籍しておりますが、夏休みの実習は、このコロナ禍。
の影響で、中止になりました。


幼少期は、人と触れあう、話すが本当に苦手な子で、幼稚園の先生が意識的に、
触れあわせないと駄目な子でした。


でも今は、自分から話掛けに行ける、人が大好きな子になりました。
私より、人好きかも知れません。


素直で、優しく他人を思いやれる。

先生が、「お友達の印象を語ろう」。
アンケートをとったらしいのですが、娘の良いところに、多くの子が、優しい。

をあげてた。(娘が持ち帰ってきた。)


発達障害の子を、育てていると大変な時期はそれぞれで、きっと大きく違う。


私の場合は、3〜8歳くらいかな。
本当に苦しかったのは、就学前までの幼少期。


何の気なしに、近所にある私立幼稚園に入れたけれど、年少クラスまともに一年。
過ごせず、一時はクラスに、私が入る。給食用のロールパンを、娘が盗んで食べるは、

もう散々。(苦笑)




併用していた毎日の未就園児クラスでは、当たり前のように、我が娘は逃走を図る。

付いてくれてた先生の足が、速かっただけが救い。
その先生とは、今でも交流があり、娘は先生が大好きで、忘れてはいないらしい。

短期記憶を不得手する娘。愛情は苦手を、克服させるのにはじゅうぶんって事なのかな。



障害が判明して、就学相談を経て、教育委員会に、申請したものの。
地域の小学校には通えません、通級も利用出来ません。


となった時、家から通える小学校にある支援級。(少し遠距離。その後、1年して地域の小学校に新たに出来た。)
と支援学校。


両方、見学と体験をして決めたのが支援学校でした。


今は、それで良かったと心からそう思っています。




娘の希望は、喫茶。

スターバックスタリーズコーヒージャパン。
じゃなくても、どこか喫茶店
( タリーズの方が、指導に一年に一回、来てくれています。)


第二希望は、一般事務。



希望がはっきりしてきました。
娘らしい選択です。



最悪、何処にも就職が適わなかったら、就労移行支援にお世話になる事になると思います。


私は、何も助言はしてません。
実習などを考慮するとスーパーなどの小売り業も、向いていると親は、思ったのですが、
娘自身は、選択肢にはしなかったようです。



苦労、苦労。というけれど、子供はそれなりにハンディがあっても大きく育ちます。

ただ、間違った方向に行かないようにするのは、親御さんのお子さんを見る洞察力じゃないかな。
と私自身は、考えております。


決して悲観などしたりせず、お子さんの出来る事を汲んで、そこを大きく伸ばすには、
どうしら良いのか。

考えてあげる事が一番だと思います。



そして、選択肢は親ではなく。

あくまでも子自身に、ね。