・・すみません、タイトルが唐突で。m(--)m
娘は、生まれてから外部の人との関わりは、自治体が定める定期の健診からです。
親の私が、成長と共に育児している中で、感じた違和感。
それが強くなったのは、一般的に言葉を話し始めるという、一歳3ヶ月くらいからです。
単語を発する気配もなければ、親の手を持ってあれーっという属にいうクレーン現象というのが頻繁に見受けられるようになったのが、この頃から 2歳半くらいまでですかね。
その後の3歳児時代は、親の私にとっては、一番。苦悩の日々でした。
他の子と比べて、発語どころか、二語文や三語文など話しません。
親から一瞬でも離されるようなら、この世の終わりか?というくらい泣いて抵抗。(ほぼ癇癪。)
幼稚園の先生たちが、私に、「この子は何かの発達障害があります。保健センターに相談して下さい」。と伝えて来られました。
やはり、多くの子供たちと触れ合い、接してきたからこそ。感じる違和感というものがあるのだなと思いました。
市に派遣されている心理士さんとの、子供を含むやりとりの後。その場で電話して、紹介状を書いて貰った隣市にある療育センターで、広汎性発達障害の診断を受けました。確か三歳八ヶ月の時だったと記憶してます。
就学までずっと、同じ心理士さんに、療育でみて貰えたのも、今思うとかなり恵まれていたと思います。
この幼少期に関わってくれた園の先生たち、療育センターの診断を下さった医師、心理士さんがいなかったら。きっとそこで諦めていたでしょう。
心を砕いて、皆さん。本気で娘と向き合って下さったからこそ、現在の娘がいる。
感謝しても本当にしきれない。
小学校は、最終的には支援学校。
それまでは普通級の在籍で、通級。選択し、市の就学相談に希望を出したのですが、却下。
この時は、広汎性発達障害があっても、知的障害はないと思っていたのも、そう希望を出した理由の一つにはあるかな。
仕切り直して、支援学校に入学が決まった2月に、児童相談所に電話して検査の予約を取り入学後の4月に手帳が交付されました。
それ以来、12年と8ヶ月。更新もありましたが、療育手帳はずっと所持しております。
普通のクラスでとか、普通の高校でとか。様々、目にしたり現場の当事者の皆さんの声を聞きましたが、学生生活を残り半年ほどで終える今。
思うことは、子供の出来る出来ない。に合わせて、その先を選ぶ事が一番大事かなと。
それ以上を、望むと子供にとって、必ず負担になります。
うちは支援学校ですが、今は。(娘の時は今ほど選べる幅がなかった)
高校は前にも言いましたが、選択肢が今は沢山あります。私立高校もハンディのある子を受け入れてくれる学校も増えましたし、ね。
なので、大学受験するのも、充分あり。
(↑ただし、その子に受けられるだけの知的能力があるならだなあ)
娘は、来春は進学ではなく。障害者枠での一般就労となります。
二学期に、また実習があるようですが、今度は、いらっしゃいませ〜。
じゃないPC作業などの裏方の体験なようです。
まだ。内々定の段階ですが、この先は私の望む。" いっらっしゃいませ。"
が、順調にいけば聞けるかも知れません。
何が、言いたいのかというと、支援学校、私立と公立の高校を選び、卒業。
そのあと大学に進学しても、社会に出た時は、クローズしての一般就労なのか、それともオープンにしての障害者枠なのか。
その子が、選択した事によって、違って来ることはあるかも知れませんが、どこを出たとかどんな資格を取ったとか。
あまり、就職には関係ないかも。
解っているのは、いずれは、みんな。社会に出る。という事。
学歴なんて正直、関係ない。
ただ思うのは、その子によって、出るタイミングがある。
更に言うならば、子供にしか解らないかも。
働く先も、子ども本人に選択させ決めさせるのが、一番。
それまでは親はやきもきするかも知れませんが、間違っても親が決めてはいけない。